氏名 | 手塚 嘉弥(てづか よしや) |
出身地 | 長野県上田市 |
自転車に関する資格等 | SBM(スポーツバイクメカニック・1級スポーツ自転車整備士) SBM(スポーツバイクメカニック・認定講師、No:031) |
1995年 大阪での『ちゃらんぽらんな大学生活』にピリオド(中退)をうち宮城県仙台市の青葉自転車販売株式会社(サイクルプラザ・ダイシャリン)に就職し、福島県伊達市のダイシャリン伊達店に配属される。マングースのBMXとGTのDHマウンテンバイクを所有して近隣をポタリングしていた。
1998年 住み慣れた福島県から埼玉県和光市のダイシャリン和光店へ移動。 ツノダの『スライリー』という街乗り26インチBMXで自転車通勤。 東京都練馬区の自宅から7kmの道のりを、朝の出勤時は15分で走り 夜の帰宅時は2時間かけて寄り道をしながら帰るという自転車生活を過ごす。 (余談だが実は移動前に、台湾メーカーの日本法人メリダ・ジャパンから転職のお話を頂いたが丁重にお断りした。)
2000年 サザンの『TSUNAMI』や福山雅治の『桜坂』がヒットしていた頃、青葉自転車販売株式会社とフランチャイズ契約を結び、埼玉県蕨市でダイシャリン蕨店のフランチャイズオーナーとして、27歳で独立する。ジャイアントのXCマウンテンバイクにヘイズ・ディスクブレーキを装備して埼玉県内をポタリングしていた。
2003年 ダイシャリン蕨店は自転車を年間2,000台程販売する繁盛店だったが、大人の事情で店舗を埼玉県蕨市内で移転。それを機にフランチャイズオーナーの権利を解約して青葉自転車販売株式会社に再就職。 この頃からスポーツバイクの人気はマウンテンバイクからロードバイクへ移行していき、自身もフェルトのロードバイクに乗って荒川でトレーニングを積んでいた。
2005年 ダイシャリン蕨店の店長から東京都・埼玉県・神奈川県の店舗を統括するエリアマネージャーに昇進。在任期間中に8店舗の新規出店の責任者を務める。店舗の巡回をする際はデスクワークの運動不足解消のため、ライトウェイのミニベロにシマノ・カプレオを装備して移動を楽しむ。また自宅マンションのベランダに、ビアンキのシングルスピードをローラー台にセットしてプチトレーニングに勤しむ。
2010年 15年間お世話になった青葉自転車販売株式会社『サイクルプラザ・ダイシャリン』を離れ、祖父が大正11年に創業した手塚自転車商会での仕事がスタートして、長野県上田市での新生活が始まる。
2013年 サイクルモードインターナショナル2013(東京会場)で、財団法人 自転車産業振興協会が主催するイベントブースにてステージ講師を務めて新たな経験を積み、現在に至る。